2015年 04月 07日
九州旅行・鹿児島編ー5 |
幕末・維新の偉人を生んだ薩摩藩
郷中教育が日本を拓いた
「議を言うな」一薩摩の青少年の間では、暗黙のうちに、このような取り決めがなされていました。
「つべこべ小賢しい理屈を言わず、先輩の言うことには従え。」ということです。藩政時代、薩摩では城下の居住地をいくつかの区域に分け、その区域ごとで子弟の教育にあたりました。区域のひとつひとつを「方限」とか「郷」と呼び、その教育機関として、郷の相中、略して「郷中」つまり現在の学区に当たる制度を設けたのです。
郷中では、幼少の時から肉体的にも精神的にも徹底した鍛錬教育が行われ、特に上下関係は厳しくしつけられました。「議を言うな」「長老衆には従え」という暗黙の了解は、そう言う土壌で培われたものと思われます。
幕末から明治にかけて多くの逸材を生みだしたことで有名です。偉人傑士として、西郷隆盛や大久保利通、西郷従道、大山巌、村田新八、東郷平八郎、黒木為禎他を輩出し、郷中教育が日本近代化への原動力なったことを如実に物語っています。
市内中心部に、偉人の銅像が建立されており今なお敬っている。
島津家28代当主斉彬像
左から西郷隆盛、大久保利通、村田新八、篠原国幹、大山巌、西郷従道、東郷平八郎、山本権兵衛
政府軍の総司令、山県有朋中将は「翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは翁をここまで追い込んだ時の流れだ。」と語り何時までも黙祷したという。
嘉永6年12月島津家28代当主斉彬は、日本と外国との船とを区別するため白地に朱の「日の丸」を日本のすべての船の船印とすることを提案、・・水戸藩の徳川斉昭が支持、安政元年7月11日幕府は日本の船の総船印に採用。明治3年以降国旗として機能を果たす。
明治3年に薩摩藩軍楽隊によって発表され、、大山巌らが薩摩琵琶曲の一つ「蓬莱山」から君が代の一節を歌詞に選び、英国軍楽隊長ジョン・ウイリアム・フェントンが作曲、明治3年明治天皇の御前で薩摩軍楽隊によって初演。明治13年楽曲の改定があり現在の国家「君が代」に至っている。
by y-koba84-2
| 2015-04-07 15:44
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