2015年 12月 16日
76番・金倉寺 |
金倉寺は、弘法大師の血縁(弘法大師の姪の子)にあたる智証大師円珍(814~891年)の生誕の地です。智証大師は天台宗寺門派の開祖でもあります。
手洗い
大師堂:智証大師と弘法大師の像を安置。共に「大師」の称号を得、「讃岐の五大師」に数えられています
観音堂
訶利帝母堂(かりていもどう):よその子供を食べた罪でお釈迦様に末子をとられ、子供を失った母の辛さを教えられた後に仏になったとされる「訶利帝母(かりていも)」(別名「鬼子母神(きしもじん)」)の尊像を祀っています
智証大師像
鐘楼
明治の偉勲、乃木希典将軍が善通寺第十一師団長を務めていたとき、この金倉寺の客殿を宿泊所にしていました。そこに妻の静子夫人が面会にきましたが、乃木将軍は会うことを拒否します。夫人は、しばらくの間、境内にある松の木の下に佇んでいたといいます。
この木が「乃木将軍妻返し松」と呼ばれています。
智証大師は、唐(中国)に渡り天台密教を学び、ここ金倉寺にきてからは弘法大師と同様に唐の青龍寺を模して伽藍を造営しました。そして、薬師如来を刻んで本尊にしました。当時の寺号は祖父の和気道善からとった「道善寺」と呼んでいました。智証大師は、後に延暦寺第五代天台座主になっています。
後の延長6年(928年)に醍醐天皇(在位897~930年)の勅願により寺号と山号を現在の名である鶏足山金倉寺に改めました。
寺 名/鶏足山宝憧院金倉寺
(けいそくざんほうとういんこんぞうじ)
宗 派/天台宗
本 尊/薬師如来
開 基/和気道善
創 建/宝亀5年(774)
ご真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
仁王門
この木が「乃木将軍妻返し松」と呼ばれています。
by y-koba84-2
| 2015-12-16 07:27