2016年 09月 03日
陽光きらめく日本一周ゆったりの夢の旅6日間ー6 |
読売旅行企画の長距離フェリーをメインとした5泊6日の旅行に参加、ゆったりとフェリーの旅を楽しんできました。
29日「Manten Hoteru」で目覚め敦賀の朝はうす曇り、駅周辺散策後バスにて名古屋経由大阪南港まで、途中名古屋城に立ち寄り見学、そして南港へ向かう車中の外は雨模様が南港まで続いた。
宿泊ホテル「Manten Hoteru」
敦賀駅前
名古屋城見学
名古屋城本丸御殿(本丸御殿復元工事は、平成30年(2018)まで行われます。)
名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられました。20年後、将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。
名古屋城といえば金の鯱(写真・文ともHPより)
1612年竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用され。高さは約2.74メートルあった。現在の金鯱は復元されたもので、復興天守建造の時、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師で大阪造幣局職員の手により製造された。一対に使用された金の重量は88kgである。
名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存している。
見学後一路南港へ、大阪南港(17:55)発フェリー「さんふらあ」にて、海路鹿児島へ、志布志港には08:55着予定
次回は、日本一周ゆったりの夢の旅6日間の最後の夜はフェリーの船中で盛り上がりました?
29日「Manten Hoteru」で目覚め敦賀の朝はうす曇り、駅周辺散策後バスにて名古屋経由大阪南港まで、途中名古屋城に立ち寄り見学、そして南港へ向かう車中の外は雨模様が南港まで続いた。
宿泊ホテル「Manten Hoteru」
現在のお城は戦後復元されたものだが、天守は、地元商店街の尽力や全国からの寄付により1959年(昭和34年)に再建されて、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなった。
石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は普請助役として加藤清正が築いた。加藤清正の像。
名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられました。20年後、将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。
1612年竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用され。高さは約2.74メートルあった。現在の金鯱は復元されたもので、復興天守建造の時、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師で大阪造幣局職員の手により製造された。一対に使用された金の重量は88kgである。
by y-koba84-2
| 2016-09-03 10:04
| 旅行