2015年 04月 13日
九州旅行・熊本編ー3 |
特別史跡・熊本城
日本三名城の一つ、加藤清正が実戦の経験を生かし、慶長6年(1601)から7ヶ年かけて完成させた。周囲5.3km、120余の井戸を掘り、かっては櫓49、櫓門18、城門29を数えた。
明治10年の西南戦争で多くの建物を消失したが、薩軍の猛攻撃に耐え、名城としての真価を発揮した。熊本城の石垣は、特異な勾配と堅牢さで知られ「武者返し」の石垣と呼ばれている。なお現在の天守閣は、昭和35年に再建されたものである。
熊本城の配置図
昭和35年に再建された天守閣
日本三名城の一つ、加藤清正が実戦の経験を生かし、慶長6年(1601)から7ヶ年かけて完成させた。周囲5.3km、120余の井戸を掘り、かっては櫓49、櫓門18、城門29を数えた。
明治10年の西南戦争で多くの建物を消失したが、薩軍の猛攻撃に耐え、名城としての真価を発揮した。熊本城の石垣は、特異な勾配と堅牢さで知られ「武者返し」の石垣と呼ばれている。なお現在の天守閣は、昭和35年に再建されたものである。
熊本城の配置図
武者返しの堅牢な石垣
昭君(しょうくん)の間
藩主の会見の間、大広間にて最も格式の広い部屋で、慶長期の特色である鈎上段を設け、北側に床の間と違い棚、西側に付書院と違い棚、東側に帳台構えが備えられた書院造り、床壁やふすまに中国の故事「王昭君」の物語の絵を、天井には花木の絵を復元している。
加藤清正の像
藩主の会見の間、大広間にて最も格式の広い部屋で、慶長期の特色である鈎上段を設け、北側に床の間と違い棚、西側に付書院と違い棚、東側に帳台構えが備えられた書院造り、床壁やふすまに中国の故事「王昭君」の物語の絵を、天井には花木の絵を復元している。
by y-koba84-2
| 2015-04-13 10:07
| 旅行